【国際協力】日本の教育開発の流れ
日本の政府開発援助(ODA)は、戦後復興中に自身も援助を受けながら、1954年のコロンボプラン加盟により始まり、70年代、80年代に拡大しました。
日本の教育分野におけるODAは、1990年代のジョムティエン会議まで、高等教育・職業訓練分野が中心でした。主に、留学生・研修生の受け入れや大学・職業訓練校への専門家派遣や機材供与などでした。
JICAベースの協力としては、タイの工科大学やケニアの農工大学への協力がイン本の代表的プロジェクトでした。
1990年代まで高等教育・職業訓練中心の理由は、
- 「経済インフラ中心であった日本の国際協力全体の傾向に基礎教育が馴染まなかったこと」
- 「基礎教育は国の発展の根幹なので外国からの援助になじまない分野だと日本人に考えられていた」
- 「日本は戦前・戦時中に植民地や占領地で日本語教育・日本型教育システムを強制した歴史があり、初等中等教育支援を過去の過ちと結びつけて考える傾向があった」などが挙げられます。
1990年以降、EFAの達成が国際社会の目標として位置付けられると、日本でも基礎教育分野における協力の拡充のため議論が行われました。
1994年にJICAは、教育分野援助の方針として
- 教育援助をODA全体の15%程度に増大すること
- 基礎教育を最重視すること
などを骨子にした提言を発表しました。
1990年代は、
- 学校建設に対する無償資金協力
- 理数科教育分野の技術協力
が主流でした。
近年では、
- 教育政策
- 教育行政官の能力強化
- 住民参加型の学校運営・学校建設
- 児童中心型のカリキュラム開発など
プロジェクトの多様化・高度化が進んでいます。
外務省の政府開発援助の方針でも、1992年以降、
人的資源開発のための基礎教育を重視する傾向が明らかになってきました。
参考文献
黒田一雄・横関祐見子(編)(2005) 国際教育開発論:理論と実践.有斐閣.